こんにちは!
Nina*です^^




あのね...

「感じる」ということを
勘違いしないで欲しいのだけど。 









すごく怒っている時や
すごく動揺している時、


それは
「感じている」のではなくて
「感情に飲み込まれている状態」です。




そして、残念ながら...

感情に飲み込まれている状態に居続けたら、現実はいつまで経っても変わりません





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たとえば、会社ですごく嫌なことがあって、家に帰って夕飯の準備をしているときも、ずっと怒りが収まらない...。


こんな経験、
誰にでもあると思うのですが、


これは
「感じている」のではなくて
「怒りという感情に飲み込まれている」状態です。





そうすると、

ムリに忘れようとしたり
時間が解決してくれると思ったり


ムリヤリ、
プラスに考えようとしたり...。


でも
そんなことをしても、


けっきょく、現実が一時的には変わったように感じるだけで、また同じような出来事が形を変えてやってくる...


だから、全然、
現実は変わっていないのです。(涙)









感情に飲み込まれているときって、
ものすごく疲れませんか?


あれ、エネルギ―を
消耗しちゃっているんですよね。


ずーっと頭の方で、
グルグルグルグル回っちゃっている感じで。。









そんなときには、

「感情の下に隠されている
 本当の気持ちを探す」んです。




たとえば、

寂しい
悲しい
苦しい
怖い
辛い
悔しい
空しい...

罪悪感
孤独感
劣等感
無力感
無価値感 etc...


こういう本当の気持ちが、
必ず(!)隠されています。






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2011年ーーー。

企業で働いてたわたしは、
あるプロジェクトから外されました。


他の二人は
前年度から継続するというのに
わたしだけが外された...。


あのときは
本当に怒り心頭という感じで、


自分のどこが悪かったかなんて顧みることもせず、ただただ、わたしを外した上司に対して、怒りが止まりませんでした。




でも、今思えば、
あのときも当然
怒りの下には「本当の気持ち」が隠されていて、


あの時の本当の気持ちは、
「わたしを評価してくれないことが悲しい」
というものでした。


通告をされたときのことは
今でもハッキリと覚えているのですが、


わたしは本当に「奈落の底に突き落とされたような、ひどい衝撃を受けた」んです。




これは
どういうことかというと...









あの頃のわたしはいつだって、
「周りからの評価」が
欲しかったんですよね。。


「周りからの評価」というものをストッパーにして、必死に立っていたような感じだったんです




一人で立つことができず、
そのストッパーがあるおかげで
立つことができていたというのに、


ある日突然、
上司からの評価がなくなってしまった...


つまり、
急にそのストッパーが
外されるような恐怖にさらされ...


一気に、
奈落の底に
突き落とされたような気持ちになった...


こんな感じだろうと思います。




それくらい...

あの頃のわたしは
自分で自分のことを評価せず、
周りからの評価があって初めて立っていられるような状態でした。


つまり、自分の足で立っているような人生ではなかったんです




それなのに、
「わたしも本当にやりたいことを見つけたい!」とか
「起業したい!」とか
「わたしだって!」とか...




今思えば、
そんなことの前に
まずは自分の足で立ってみようよ!って...


そのことが、
本当に大切だったように思います。






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では、
自分の足で立つって、どういうことでしょうね。


それは、
どんな自分でも
自分で自分を評価してあげるということ。

認めてあげる。

許してあげる。

自分にたっぷり愛を注いであげる
ということです。




そうしていたら、

周りからの評価なんていうストッパーがなくても、ちゃんと自分の足で立つことはできたはずだし、ある日突然プロジェクトから外されても、あそこまでの怒りは感じなかったはず。




だから、あの出来事は、

「もっと自分を評価してあげてね」ということを

学ぶために起きたんだと...









そんな風に、
わたしの胸に
しっかりと刻まれるようになりました^^


つづく










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