こちらからの続きです!


 ①「はじめまして。Nina*です」




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すべてが、限界に達した2011年


一生懸命、笑顔を作り、
一生懸命、前向きに生きようとする。

...これが、
わたしにとっての「当たり前」でした。

というよりも、これ以外の生き方を知らなかったし、こうすることで、物事は必ず上手くいくものだと信じていました。




でも、神様って、本当に親切ですね。

もう随分前から、
わたしにちゃんと教えてくれていたんです。

「そうじゃないよ」
「その方法だと、いつか君、崩れちゃうよ」って。




* * *




2011年(34歳)ーーー。

わたしのすべてが
パンクして壊れてしまったのですが、


でも実は、それよりも前に...
わたしは心療内科に行ったことがあるのです。

それは、29歳くらいのお話です。




わたし、オカシイのかも・・・!?


社会人7年目に
ある異動を経験したのですが、
その新しい部署では、先輩とも後輩ともうまくいきませんでした。


9:00 に出社して、自分の席に座ると
9:30 には、動機・息切れが始まり…


電話の取り次ぎもできないくらい、
心臓バクバクしながら仕事をしていました




そんな精神状態で仕事をしていたので
仕事そのものを全然、覚えられず...


どんどん
自分を追い込んでいったわたしは
ついに、通路が歩けなくなってしまったのです







通路が歩けないって...... 想像つきますか??




あまりにも「人の目」が怖くなって
通路も歩けなくて...
立ち話もできなくて...


当時は、
仲のいい友達とも話すことができなくなって、
よく、咳払いをしてごまかしていたことを覚えています。。


そして、夜ひとりで
ベッドの上で、泣いていました。


あんなに
人と話すのが好きだったのに...
どうして、 こんなことになっちゃったのだろう?...




はじめて、心療内科に行った夜*


この頃は、
まだネットがあまり主流ではなかったので

会社帰りに本屋さんへ行き、


わたしはどうすればいいんだ、と...
ひとり、途方にくれていたことを思い出します。




そして、何を思ったか、
わたしは大阪の心療内科まで、
新幹線に乗って行ったんですね。


誰にも、言わず。
誰にも、言えず。





本当は、
家族にでも友だちにでも
言えたら良かったんだろうけど、


言うことが恥ずかしい・カッコ悪いと思ってしまうタイプだったので、すべてを一人で抱えてしまいました。




大阪に行ったことは
たしかに覚えているのですが、
その道中のことはまるで覚えていなくて...


それに、
わたしは東京で働いていたのに、
どうしてわざわざ大阪まで行ったのだろうって
今でも不思議に思います。


確かな記憶はないけれど、きっと心のどこかで「東京の心療内科に行ったら、誰かに見つかる!」ということを恐れていて、大阪という、知り合いのいない土地に隠れるように逃げ込むことで、ほんの1ミリでもいいから、自分というものを開放してあげたいと...


そんな思いを
心のどこかに
隠し持っていたのかもしれません。




つづく  自己紹介③「首の激痛で苦しんだ30代」