"誰かっぽくなってしまうこと"
あの日のあなたの一言が、
今でもわたしの中で響いています
知らず知らずのうちに自分のことを否定して、
いつだって『自分以外の誰か』になろうと
必死にもがき苦しんでいたわたしは
あのときはじめて、
わたしはわたしで生きていけばいいんだと
そんな大切なことが、心に染みました
いつもヘンなことばかり言うあなたが
どうしてあの日、あんなことを言ってくれたのでしょう
まるで、その一言を伝えてくれるためだけに
ずっとわたしのそばにいてくれたような...
そんな気持ちさえ、湧いてきます
この世で一番、カッコ悪い生き方は
"誰かっぽくなってしまうこと"
あの日の一言が
心の真ん中で・・・
相も変わらず、渦巻いています
器用な人ほど
自分というものを使い分けていく
友だちの前で
上司の前で
義理のお母さんの前で、というように...。
わたしはかつて、
自分を使い分けることができることを
何を勘違いしたのか、「長所だ」くらいに思っていた。
でも、本当の心の声は、
「使い分けないと怖かった」。
使い分けることでしか、人との付き合い方が、わからなかったのかもしれない。
でもわたしは、
『分離から統合』という概念を知って
わたしの中にある、いろいろな人格をひとつひとつ統合していった。
それから月日が経ったある日、
使い分けなくなったというよりも
使い分けていない自分に気が付いた!という感じなのだけど...
あのときは、嬉しかったなぁ。
あー、これでいいんだと思えた時は...
涙が出るほど、嬉しかった。
* * *
本当の自分はどれなんだと
悩む人がいるけれど、
あの子でもその子でもこの子でもなくて
あの子もその子もこの子も、
全部ひっくるめたあなたが、『あなた』だよ
すべてが統合されたとき
心の中心から、ものすごい 光 を放つんだけど
でも、ふとしたときに、また軸がズレちゃうの
それでも、『中心』を知っているからズレていることにも気づけるし
ズレていることがわかるから、
また『自分の中心』に戻れるの
つい、自分以外の誰かみたいに
なっちゃったりすることもあるけれど
何度だって、気が付いて
何度だって、戻ってくれば良い
そのたびにまた、光を放つから
そのたびにまた、「ここが中心だよね」って、わかる自分になれるから

Nina*